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houza logo副住職の法話

  1. ふすま越しの念仏
  2. 生きる ~詩の世界~
  3. 仏さまになるんやで
  4. ペットの死を通して
  5. 素敵に年を重ねる

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中川大城 副住職

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同じ願いに包まれて~ペットの死を通して~

浄土真宗本願寺派奈良教区教化報『かりょうびん』 2005(平成17)年5月15日号掲載(2015年校正)
中川 大城(なかがわ おおき)

ペットは家族の一員

サラミ 最近「癒し」がブームになっていますが、あなたにとって「癒し」とは何でしょうか。今から十三年前、我が家にひょっこりと猫が迷い込んで来ました。人なつっこくて追い返すのも忍びなく、サラミソーセージを食べた白い毛に黒い虎柄のその猫は、サラミと名づけられ一緒に生活することになりました。

最初はおとなしかったのですが、だんだんと自己主張するようになりました。食事の時は椅子に飛び乗り、ご飯にお箸を近づけると”ちょんちょん”と手を乗せてきて、私の顔を見ます。食べたいという意思表示です。冬になれば寒いので膝の上へ乗ってきます。名前を呼べば返事をします。撫でてやればゴロゴロと喉を鳴らします。暖かい日は縁側に出て日向ぼっこです。最初はペットとしか見ていなかったのですが、共に生活する中、喜んだり怒ったりスネたりする姿が愛らしくて、次第に家族の一員と感じるようになりました。

ある日サラミの様子がおかしいことに気付きました。ご飯も食べませんし、声を掛けても反応がありません。あわてて病院に連れて行くと「血尿が出ていますね。年齢から考えても限界だと思います」と獣医の先生がおっしゃいました。

それからの数日間は、急激に命の灯火が小さくなっていくことを感じました。全身を痙攣させながらも懸命に生きようとする姿に、家族は皆涙しました。振り返ればあっという間の十三年間でした。与えられた命を全うしようとするその姿を見て、命に人も猫も区別はないと痛切に感じました。思えばだんだんと痩せ細り、力無くして死んでいくその様は、無常の姿そのものでした。現代社会では人は生活の場を離れ病院のベッドで死を迎えることが多くなり、残された者は死そのものを身近に感じる機会を失いつつあります。言葉も通じず生活してきた人と猫ではありますが、家族に死の尊さを教えてくれました。

「癒し」で済ませていいの?

サラミとの生活は、まさに私の心を癒し続けてくれた時間のように思います。しかし一つの”いのち”を単に「癒し」として済ませてしまうのは、非常に悲しいことだと感じたのです。話し相手が欲しいとペットが相手になってくれる、何をしても文句を言わず都合の良い存在、さらには身勝手に生き物の命を軽視するようなニュースも報道され、人が心を癒すものに対する欲求はどんどん強くなるばかりです。自らの安らぎばかりを求めて、その命までも私物化していたような気がしてなりません。人間だけではなく生きとし生けるものは全て、同じ苦しみ悲しみを抱えて生きていたことに気が付きませんでした。
生まれ、そして生きてゆくその命の有り様は、私と何一つ変わらない同じ命でありました。だからこそ何があっても照らし続けてくださる光が全ての命に必要なのです。全ての命は平等に尊い、阿弥陀さまは全ての命を救うと願い、はたらいてくださいます。皆、同じ願いに包まれているのです。サラミと別れた日、私の手が合わさりました。私に手を合わす心を残してくれたのです。死という今生の命の終わりがあるからこそ、今日を精一杯生き抜くことを教えてくれたのです。
無常の理(ことわり)を教えてくれた一つの命は、目の前から風のように去ってしまいました。十三年間共に過ごした一つの命が、大切なことを残してくれました。