houza logo 仏さまになるんやで

ラジオ放送「みほとけとともに」 2013(平成25)年7月放送
中川 大城(なかがわ おおき)

何も言えなかったあの日・・・

中学生のころだったと思います。友人が言うのです。「オレ、宙返りできるようになったんや」何のことかなと思ったのですが、前から練習していたようです。「お寺なら広いし見せたるわ」と、彼の言葉。お寺に宙返りをしにくる人も少ないと思いますが、和室に座布団を敷き詰めて、あまりパリッとしない宙返りを数回見せられたあと、本堂にお参りしたいというので案内しました。ご本尊の阿弥陀さまに手を合わせて座っていると、「浄土真宗ってどんな教えなん?」と私に聞きました。「ナンマンダブツって、お念仏によって仏さまになるんやで」と彼に話しました。「そうなんか~」といいながら、手を合わせてお念仏していました。彼は昔から「人は死んだら、どうなると思う?」そんなことをよく尋ねてくる友達でした。

彼とは長い付き合いなのです。小学生のとき、塾で同じクラスになったのがきっかけでした。あっという間に意気投合し、仲良くなりました。それからは塾通いが一気に楽しくなったんです。彼との友人関係は時間と共に深まり、多感な青春時代も、互いに近況を報告して、勉学に、また恋愛にと大いに語り合いました。ときには成功を喜び、ときには互いの失敗を笑いあい、また辛い時には心から励まし合いました。

高校卒業の頃ですが、進路の話題になりました。彼は言いました「オレ、絵の専門学校にいこうとおもうねん」私はピッタリだと直感で思いました。「おまえ前から絵がうまかったし、ええやんか、がんばりや」そう言葉をかけた一方で、彼を内心うらやましく思いました。ただお寺に生まれたからそちらの学校へ進むのだろうと考えていた私よりずっと将来のことを具体的に考えていて、前向きに思えたんです。そのときの彼は、とてもかっこよく見えました。

その後、彼は専門学校を卒業し、その学びを活かそうと、絵の仕事を探していましたが、思うようにいかず、ずいぶんと苦労していたようでした。いずれ絵の仕事に就きたいという思いもあったでしょうが、彼は一旦、電気関係の仕事に就くことにしました。

しばらくして、一本の電話が掛かってきました。電話口へ出ますと「突然の電話、すみません。私の息子が亡くなりました」彼のお母さんでした。彼が亡くなったというのです。耳を疑いました。(そんなはずは無い、次の土曜だって一緒に遊ぶ約束してるのに・・・)とにかく、彼の家へ急ぎました。

悲しみは悲しみのままで

家に着くと、まるで眠っているかのような彼の姿と対面しました。改めて聞いてみると、仕事中に彼の頭の上から物が落下。後頭部に当たってしまったとのことでした。落下物によって25歳の命はあっという間に奪われてしまったのです。私は信じられない思いのまま、臨終のお勤めをしました。

いくら気持ちを整理しても納得のいかないことでした。お経のお勤めがおわり、彼の両親に、僧侶としてなにか言葉をかけようと思ったのですが、声が詰まって出てきません。いま大きな悲しみと向き合っておられる方に、どんな言葉がかけられるのだろうか。小さなころから、背いても背いても、抱きしめて、寄り添って、精一杯ありったけの思いをかけて育ててこられた両親です。いくら考えても言葉が出てこないのです。「泣いてばかりですみません。悔しいです、悲しいです」とだけ申し上げました。

それからしばらくして、彼の自室へ通してもらいました。よく遊びに来た彼の部屋です。そこは、彼がふと外出し、その帰宅を待っているかのような空間でした。亡くなる日のビデオ予約の覚書、その前日の書店のレシート、あの日の朝「行ってきます」と仕事に出かけたその瞬間から、時を止めているようにさえ思えました。そこに「ここで終わらせたくない、きっと今もどこかに居てくれるにちがいない」そんな純粋な気持ちが伝わってきました。

お母さんは「もし、もう一度親子となることができたら、今度も絵が好きで、少しは親をハラハラさせるままでいい。ただもう少しだけ長く生きて欲しい」とおっしゃいました。

大切な人に先立たれて、つらい悲しみの中にあったとしても、お念仏の心を聞かせていただくと、悲しみは悲しみのままで、その別れが自分にとって深い意味をもつことが少しずつ知らされてきます。

亡き人は伝え続けています

気がつくと、彼が亡くなって14年の月日が経ちました。思い出せば、臨終勤行のあと声を詰まらせ、何もいえなかったあの日が、み教えを一人でも縁のある人に伝えたいと思うようになった出発点のように思います。

亡き人は伝え続けています。命あるものは死に、出会った者は必ず別れるという大切なことを。教え続けてくれているのだと思うのです。そんな中、彼とのやり取りを思い出します「人は死んだら、どうなると思う?」これを彼のいのちを通して聞き続けていくんですね。死んで終わる命ではないということを。

「ナンマンダブツって、お念仏によって仏さまになるんやで」私が彼にかけた言葉です。しかし今は彼の声となって私に届けられているようです。明日命が終わるかもしれない今の私に「必ず救う」と阿弥陀さまがはたらいてくださることを知らせてくれています。

悲しみがあまりに大きくて、気がつかないかもしれませんが、亡き人はたくさんのものを残してくれています。自分ひとりではなかなか気づくことはできません。しかし仏法に耳を傾けていくと、実にたくさんのものが残されていると気づいていくことができます。

「南無阿弥陀仏」
この一声に無上の功徳が備わっていることを親鸞聖人はお示しになりました。この私が仏になるほどのはたらきが込められているのです。親鸞聖人は「ただ念仏」の道を歩まれました。これは誰にでも開かれた道です。誰にでもということは、わたしにも、そして、あなたにもということです。「ただ念仏」の道こそが、私たちの歩むことのできる唯一つの道です。