高田千本桜
大和高田市にある高田川の桜をご存知でしょうか。香芝から車でおよそ15分、川沿いに1000本の桜が一度に咲きますので、奈良県では有数の桜の名所としてたくさんの人々が訪れます。毎年訪れるのですが、カメラを持って今年は夜桜を見に行きました。 足が思うように動かなくなった祖母も、車に乗ったまま沿道数キロに咲く綺麗な桜をずっと眺めることができたのです。こちらの桜は祖母と毎年見に来ていた思い出の桜です。
祖母は桜に合掌していました。沿道の花見客の視線を感じて、恥ずかしいからやめてほしいと伝えましたが、祖母は「よう連れってくれたな、ありがとうな」と手を合わせ感謝してくれていました。いま思えば「来年の桜はもう見られないかも知れない」そんな思いだったのかもしれません。桜の花を見ながらいつまでも咲いていてほしいという思いと、それでも散っていかなければならない現実を知らされます。そこに今を生きる命のはかなさと同時に、だからこそといつも願ってくださる仏さまのはたらきを感じます。亡き人を偲ぶ人は多い、しかし亡き人が示す世界にであっていく人は少ないのだと思います。
「なごりおしくおもえども、娑婆の縁つきて、ちからなくしておわるときに、かの土へはまいるべきなり。」歎異抄より
娑婆を生きるこの命が尽きるとき、迎え取られるお浄土という世界があってよかった。浄土が今の私を支え続けてくださることをありがたく味わわせていただきます。
過去の記事もご紹介いたします。
高田川の桜と祖母に関する法話はこちら(素敵に年を重ねる『本願寺新報』 2005(平成17)年1月10日号掲載)
改めて味わってみました。桜の味わいはこちら。
吉野の桜、みどころはこちら。
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